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喜龍一真Blog

癒しと覚醒のスピリチュアリズム

スピリチュアリズム概論

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もともと、私たちには、いま受け取っている以上の能力があり、感覚がある。

我々の多くの感覚は、眠ったままであり、眠りが簡単には解けぬよう封印がかけられている。しかし、地球全体の次元上昇を迎えたいま、危機的な変容が生じはじめている。 これまで簡単には解けることのなかった封印が、容易に解け始めているのだ。封をとき、新たな能力や感覚に目覚めることを、文字通り覚醒と呼ぶ。

いままで、これらの封印は、自ら望み、修業を重ね、準備期間を得て、初めて封を解くことができた。 簡単には覚醒できないようになっていた。 封を解けば、すぐに扱えるというわけではないからである。

多くの制限された意識感覚の中で生きることに慣れた現代人にとって、 予期すらしなかった感覚が開かれるということは、恐怖以外の何物でもない。 集合的な元型エネルギーでさえ、多くの人々が翻弄され、打ちのめされてしまう。

アニマ・アニムスと言われる性的元型エネルギーに突き動かされ、 社会的に認知されない不倫などの行動に駆り立てられた結果、 人権ごと抹殺されるような制裁を受けるものが後を絶たない。

覚醒とは、集合的な元型エネルギーよりも、さらに遠く深い、高次元から押し寄せてくるエネルギーが 開放されることを意味する。 「オーラが見える」「霊が見える」などといった 他愛もない憧れですむような、生易しい体験ではない。 文字通り、自己分裂の脅威に突如さらされるのである。

封印が緩み、中途半端な覚醒が漏れでてしまった結果、 パニック障害うつ病などの心理的障害から、 さらには統合失調症自閉症など、脳の器質的疾患を引き起こすなど、 もはや看過できないほど、厳しい状況に置かれているのが現代なのである。

これらの多くの諸症状に悩まされる多くの人々は、 今自分に何が起こっているのかわからず、不安のどん底にさらされるだろう。

病院で検査を受けても、肉体的な病気は見つからない場合が多い。 このため、心療内科や精神科に頼れば、 抗不安薬や安定剤に頼るしかなくなってしまう。 原因も理由もわからない以上、抑えこむしか方法がないからである。

裕福なものは、覚せい剤など麻薬の力で誤魔化そうとするだろう。 いずれもそのすさまじい副作用により、多くの人は薬物依存となり、 最悪、廃人とならねばならない。

このような、覚醒に伴う激しい分裂の危機、精神的危機を 「スピリチュアル・エマージェンシー」と呼ぶ。 これらの精神的危機は、いわゆる既存の精神病や神経症とは分けて考えねばならない。

なぜなら、覚醒に伴う分裂、不安定、不安感などは、 本来、準備期間の中で学び、訓練し、身に付けることで、 無限の創造性として活用することが可能になるからである。 そもそも、人間のもともと備わっているものであり、 最初から備わっていないことが、多くの人々に生じるわけがない。

体操選手や戦闘機パイロットが訓練によって、立体的な空間感覚を身につける。 訓練し、開放することにより、やがて熟練することができる。 訓練を受けていない人間からすれば、ありえないような動きができるようになる。 つまり、封印されていただけだと考えることができる。

天才とは、多くの人々が封じている能力を、何らかの必然性があって、 幼少期より開放し、使いこなすことに長けた人間のことである。 自転車も、車の運転も、できない人から見れば魔術のようだが、 できる人から見れば当たり前のように容易である。 できることが増え、やれないと思ったことが可能となる。

霊的な覚醒に関しても同様に考えることができる。

本物の霊媒師やシャーマンが当然のように見えているものは、 覚醒された器官を使いこなすことを訓練されたからである。 いま問題なのは、これらの霊的能力が、 望みもしていない人にも勝手に開かれてしまっている、ということなのである。

それによるさまざまな現象は、すでに毎日ニュースを騒がせている。 不可解な事件が起こりすぎている。 既存の理解を超えた殺意が満ち満ちている。 我々はこのような世界の大きな変化を、 創造よりもむしろ破壊の中に感じなければならなかった。

創造は目に止まりにくいところで起こる。 そしてその進みは限りなく遅い。 植物が芽吹き、成長するのを、瞬間目で見て感じることができないように、 創造は気づかない中で遅々として進む。 しかし破壊は一瞬で起こる。 誰の目にも明らかである。 恐怖と不安が瞬間的に押し寄せてくる。 すでに何度も何度も、そのような現象が、知らせが 目の前に起こり、我々を恐怖させてきた。

それは変化の知らせである。 大きな変化の知らせが何度も何度も押し寄せてくる。 やがてそれは、天災や事件といった「外部」の出来事ではなく、 多くの人々の「内部」で起こり始める。 なぜなら、人の内部は「ミクロコスモス」、 外の世界は「マクロコスモス」というように、 一つながりの円環だからである。

覚醒によって、世界の見方は大きく変わる。 これまでそんな感覚があったことさえ気づかなかったそこに、 多くの情報が飛び交っているのを知るようになる。 もちろん、最初はなにがなんだかわからないだろう。 生まれてからずっと目の見えなかった人が、手術によって眼が見えるようになっても、 その画像が最初は何を意味するのかわからず、むしろ苦痛に思えるのと同じである。

ノイズ、違和感、激しい抵抗、そして恐怖を感じるだろう。 性的な快楽も、経験の浅いうちは痛みでしかないように、 覚醒したばかりの未経験の感覚は、わずかなものでも敏感に感じ、その痛みは激しい。

一度緩んだ覚醒を止めることは困難である。 受け入れ準備できない段階での封印の緩みは、しっかり封をかけ直せば止まる。 しかし、アセンションによる緩みは、宇宙全体の流れの一環であって、 それを止めることは原則的に不可能である。

拒否するなら、薬物投与によって強制的に停止してしまうか、 錯乱させてしまうかしかなく、 それもできないとなれば、自殺しか残されていない。

自殺が最悪の帰結なのは、ここまでの成長進化の歩みごと停止させることであり、 そこから輪廻の再生を図るのは容易いことではないからである。 演劇の舞台に自ら出演しながら、突然「やめます」といって舞台から去るようなものである。 次に舞台に登れる機会ごと失ってしまうと考えたほうが良い。

もちろん自殺が全て輪廻の停止というわけではなく、 その線引は非常に難しい。 社会のため、同胞のため、家族のためという利他の自殺と、 自己のための自殺とを同列に見ることはできない。 そもそもそれを判断するのは、神でもなく宇宙でもない。 もっぱら、自分自身の高次元存在なのである。

とはいえ、覚醒の途上における苦痛は並大抵ではなく、 死の誘惑は常に付いて回ることになる。 生の世界しか感知できなかった人々にとって死は恐怖でしかなく、 宗教的な地獄感なども相まって、 死の世界へ安易に逃れる危機を回避することができた。

しかし、中途半端な覚醒によって生死を超えた認識を得ることができるようになると、 死よりもむしろ生のほうが遥かに恐ろしいと感じるようになる。 拡大した意識状態をただ恐れ、避難することに全精力を使い果たし、 生きるエネルギーを持続することに困難を覚えてしまうのである。

死はある意味では無であり空であるが、全体なる一に帰還することでもある。 卵細胞に例えてみると、よく分かるかもしれない。

我々の肉体の原初の姿は、一つの卵細胞である。 そこには我々のすべての素が含まれている。 もし、卵細胞の中に意識があるとしたら、 その意識はどのようなものであろうか。

「卵である私は、これだけで完全な全体であり、 すべてが備わっている」と感じるだろう。 母親の温かな体内に包み込まれ、なにものにも侵されることはない。 安心とぬくもりとやわらかい心地よさ。 しかし、それはそうしてただあるだけで、身動き一つ取ることもできない。 究極の「ある(be)」だけの存在。それが卵である。

体にとっての原初が卵であるなら、 意識体にとっての原初は宇宙エネルギーである。 すべてのエネルギーはもともと単一のエネルギーであった。 そのなかに再度戻っていくのである。

溶解され、自と他の区別を失い、宇宙全体の中へ溶け込んでいく。 その途上では、これまで自分を構成していたすべての要素が溶解し解消されていく。 こうして、卵のような全体の一部となった我々は、 すべての感覚を失い、自由を失い、行動を失うが、 まったき全体としてエネルギーをたくわえ、癒やされていく。

この宇宙の単一な原初のエネルギーを、多くのスピリチュアリズムは「愛」と表現する。 「愛」には二種類ある。 一つは男性性と女性性の結合を意味する愛であり、 もう一つは母性のような単一の愛である。 ここでいう「愛」とはもちろん後者の本源となっているエネルギーのことである。 我々は、完全な死によって、順調な経過を得ることができれば、 最終的にこのような宇宙の「愛」と呼ばれる原初のエネルギーとなって休息する。

しかしやがて、「自由」を求める衝動がエネルギーとなって注入される。 体で言えば、卵細胞に精子が突入し、受精することである。

精子は純粋な自由衝動といえる存在である。 自由衝動とは純粋な「する(do)」だけの存在とも言えるだろう。 「する」だけの精子が、ひたすら「ある」だけの卵細胞を目指し、全力で動く。 異性との結合と統合を目指して、競争し、突き進む。

精子と卵細胞が結合し、受精卵となった瞬間、 「ある」という愛だけの存在(これを女性性とも言う)と、 「する」という自由だけの存在(これを男性性とも言う)が統合し、 個(Personal)としての人(Self)が誕生するのである。

これまでの静止状態は終焉するとともに、 受精膜が瞬時に生成し、世界との間に線引がなされる。 宇宙の意識体である我々も、同様に自由の衝動を受け入れることで、 自他の区別が生じ、組織化が始まる。

核となる真我(True Self)が中心となり、意識の座であるアストラル体が形成される。 そして受肉すべき胎芽に吸引され、生命の座であるエーテル体と、 感覚と行動の座である肉体が形成されていく。

真我はアストラル体に包まれ、 アストラル体エーテル体に包まれ、 エーテル体は肉体に包まれている。

その包まれた中で、 真我はアストラル体エーテル体、肉体を突き抜けて輝く。 同様にアストラル体エーテル体と肉体を突き抜けて輝き、 エーテル体は肉体を突き抜けて輝く。 この幾重にも重なる輝きを、オーラと呼ぶのはすでに知られているとおりである。

肉体は可視的であるのは言うまでもないが、 この肉体はタンパク質から作られており、 タンパク質はアミノ酸であり、 アミノ酸は有機化合物である。 これらの生態的な物質は、突き詰めれば炭素と窒素、水素と酸素に行き着く。 地球も、その多くは炭素窒素、水素酸素である。 そう考えれば、肉体は地球と同じ素材であると言え、 象徴的に地球を構成する鉱物と同様の次元という意味で、鉱物界と呼ぶ。

このため、肉体は鉱物界に属しているという。

一方、エーテル体は、生命や気と呼ばれるように、 とくに東洋人には馴染深いものである。 わかりやすいのは四季の変化を植物の葉に見ることである。 春から初夏にかけて、木々から芽吹き出す無数の葉を見ると、 訓練を受けていない人でさえ、そこに爽やかな生命の噴出を見ることができる。 エーテル体とは、このように生成化育し、肉体を駆動させるエネルギーのことである。

このため、エーテル体は植物界に属しているという。

アストラル体は、意識の座と呼ばれるが、 表層意識だけでなく、無意識や集合的無意識なども包括する存在であり、 宇宙エネルギーに非常に近い性質を持っている。アストラルとは「星々」を意味する。

産道を通り抜けて生誕し、へその緒が切られ、地球の大気を最初に吸うとき、 太陽系の多くの惑星の影響をそのまま受け取り、刻みこむ。 それが気質や性格の一部に刻み込まれるため、 占星術などが限定的ながら先天的個性を知る程度の意味を持つのである。

とはいえ、星々の影響はあくまで個人の個性を多様化するためのものであり、 未来を運命的に決しているわけではない。 むしろ環境など様々な初期設定は、原初の自由衝動を起こした際の、 体験を求める動機によって選択された「課題」とみるべきである。

アストラル体を備える生物は、意識を持つゆえに行動することができる。 植物は鉱物界から得た生体と、エーテル体しか備えていないため、 純粋な生命の表現でしかないが、動物は肉体、エーテル体に加え、アストラス体を有するため、 その意識レベルには多層あれど(個意識から集合意識まで)、 意識があるために行動することが可能な存在となっている。

このため、アストラル体は動物界に属しているという。

真我(True Self)とは、宇宙意識そのものから分化した純粋な自己そのものであるが、 それゆえ半睡眠の状態となり、通常は認識されない。 このため「エッセンス(本質・真髄)」や、単純に「自己」とも呼ばれる。 人間が思考したり、感情を感じたり、感覚を得たり、直観を得たりするが、 それはアストラル体に組織された自我意識によってなされている。

我々が「自分」と考えているのは、真我を雛形とはしつつも、 その周囲に形成された「自我」の一部にほかならないのである。

 

さて、わかりやすくするために、できるだけシンプルに話を進めてきたが、 いくつか補完しなければならない。

我々が誕生前、原初の宇宙エネルギーだったことを思い出してほしい。 そこに自由の衝動が飛び込み、自他の区別が生じた。 ここで線引されるのは、自他との区別だけでなく、 もともとの宇宙エネルギーの一部としての自己存在をも、 同時に切り離す、ということである。

つまり、誕生するに際し、宇宙にあった存在のすべてが受肉するわけではなく、 むしろその一部だけがエネルギーを大幅に落として分離し、受肉するのである。 宇宙エネルギーの中にそのままあり続ける、もともとの存在を「高次元存在」と呼ぶ。

ハイヤーセルフ」と呼ぶこともあるが、「三次元より上の意識全般」を意味するため、 範囲が広すぎ、注意が必要である。 「個を超越した自己(Transpersonal Self)」とも呼ばれるが一般的ではない。

日本のような多神教の世界観における「神」にきわめて近い、 宇宙の中にいながら、個として活動することのできる存在を意味する。 真我は高次元存在と繋がり続けており、 高次元存在は宇宙にありながら個別化した存在となっている。

誕生前は「大いなる一つ」となって、個を失った状態で癒やされていた。 しかし、自由の衝動を得て誕生することができるようになったが故に、 高次元も個としての覚醒をし始めるのである。

こうして誕生した肉体を持つ存在として自分と、 宇宙に存在する自分という、分裂した二重存在となっているのである。

我々は、地上での無数の体験を得て、解脱へと向かう。 解脱とは、無数の封印の開放と統合を経て、完全なる意識体へ成長を遂げ、 最終的には肉体を持つことなく、宇宙意識の中で、 自由に個として世界のために活躍できる存在へと進化をとげることである。

ここで、ようやく最初の話に戻ることができる。

アセンション以前には、 真我のほとんどが封印され、休眠状態にあるために、 我々はそこからの情報の多くを知ることができなかった。 この世で修業を重ね、解脱の域に達したわずかなグルたちの言葉が それを微かに感じさせてくれる程度でしかなく、 またその多くは秘せられたり、準備が来るまで出会うことのできないよう、 繊細に結界が張られていた。

しかし、地球全体が進化の歩みを大きく一歩進みだし、 結果として人類も、進化の過程を大きく前に進まざるを得なくなった。 このため、宇宙意識から関与してくる解脱した存在たち (我々はそれを天使とか宇宙人とかと感じる)の影響が、 日増しに強くなっている。

銀河神界と呼ばれるその解脱した存在たちの影響は、 とくに強まってきており、我々を急速に覚醒へと向かわせている。 地球そのものの存続が危ぶまれているからであり、 同時にここで急激な進化のジャンプが起こる可能性に満ち満ちているからでもある。

それは銀河神界全体から見ても、 祝祭的な(だからこそ同時に破壊の危機でもある)一大ムーブメントであり、 そのためにこぞって地球へと祝福と支援のために集まってきているのである。

彼らは意識体であるが故に、物理的な乗り物など必要としない。 いわゆるUFOなどは、すべてエネルギーの残滓であり、 可視的なものは不可視な存在のごく一部でしかない。

彼らは強烈なエネルギーそのものである。 その姿を見ることさえためらわれる。 放射線宇宙線)をそのまま浴びるようなものだからだ。

これまでは、我々自身の成長の歩みを最大限尊重し、自由な環境を最大限保証されてきた。 守護はあくまで目に見えない形で行われ、 我々人類は自分たちだけでここまでこれたと信じこんできた。

しかし、ここからはもはやそのような悠長なことをいっていられない、 それゆえに、非常に強く、メッセージが発せられている。

「時間はもう残されていない。地球が求める進化レベルに人類は到達せよ」

このメッセージが、直接高次元存在から一人ひとりの真我に送り届けられている。 それが、近来急激に混迷を増している世界の有り様の意味であり、 我々の直面している課題であり、現象であると理解することができる。

我々は今、巨大な世界の中の小さな一部としてではなく、 等価の宇宙存在として、今できることがあると気づくことができる。 進化のための叡智を学び、変容を遂げることである。 進化のための道具はすでに無数に用意され、 叡智は急速に放たれ始めている。

解脱へ向かって努力を重ね、 人知れず世界のために奉仕する人たちが増えてきている。 これらの人々を、我々はライトワーカーと呼ぶ。

いっぽうスピリチュアル・マスターとは、 癒やしと覚醒のスピリチュアリズムにおけるプロフェッショナルであり、 そのために人生をかけて取り組む人々のことである。

現在、スピリチュアル・エマージェンシーに悩み、苦しみ、 どうしていいかわからないと迷い苦しむ多くの覚醒し始めた人たち。 医学でも宗教でも変わらず、もはや死しかないと思いつめる前に、 周囲にスピリチュアル・マスターを探してみてほしい。

真のスピリチュアル・マスターは、決してあなたの自由を侵さない。 あなたの自由を最大限尊重する代わりに、 あなたの成長への努力を援助することしかできない。 あなたの苦痛を一時的に収めることはできても、 それを成長へと結びつけるための個々の努力なしに 先へと進むことはできないからである。

苦しい時、辛い時に助けを求めるのは必要である。 しかし、苦しみから逃れたら終わりなのではない。 世界の進化のために、成長のために、まずはライトワーカーとして、 さらにはスピリチュアル・マスターとなって、 皆で力を合わせなければならない。

困難な道ではあるけれど、希望の光を探すことをあきらめてはならない。